「ル・トロネ修道院」

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ル・トロネ修道院 様

お元気ですか。

フランス旅行の最後、2011年の3月にあなたを訪ねたのが、ちょうど昨日のことのように思い出されます。早いもので、もう5年も経ったのですね。

今回の旅行ではあなたのご姉妹にもお会いしましたが、僕はあなたに一番心を惹かれてしまいました。(どうかご姉妹には内密に!)

教会堂に足を踏み得れた瞬間の、身を切られるような張り詰めた空気は今も忘れることができません。その横の回廊も息を呑むほどに美しく、何度回っても飽きることがありませんでした。これまで何人もの人が、あなたに心を奪われたのがとてもよくわかります。

どうやったらこんなに美しい空間ができるのか、あなたから直接伺えるといいのですが、人間の言葉はしゃべれないので、想像するしかありませんね。生まれてから800年、あなたと共に、いろいろな物語があったのでしょうね。それが聞けないのは残念です。

それでも、直接は聞けなくてもあなたといるだけで色々な発見をすることができました。宝箱の中にいるような、とても幸せな時間でした。

どんな建築を見に行っても、別れ際は「もうこれっきりで会えないかもしれない…」と思い、いつも少し寂しくなるのですが、あなたにはまたいつか会いに来る気がしています。何回行っても新しい発見ができるでしょうし、雨の日や夏の暑い日も、また全然違った表情を見せてくれるのでしょう?

楽しみにしています。また会う日まで、どうかお元気で。

 

2016.8.27 itaruya


 

 

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Abbaye du Thoronet, 1160-75(教会堂と回廊の一部)、1200頃完成

 

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教会堂の奥の小さな出入り口から下に降りれば、そこはため息が出るほど美しい回廊。ごく自然に、かつて修道士たちがそうしたように、ゆっくりと歩き回ってみたくなります。階段を降り、回廊の連続するアーチ模様が生み出す光と影の縞模様をくぐり抜け、

 

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角を曲がり、左手の噴水堂の水音を聞きながら斜路を歩み、

 

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もう一度角を曲がり、緩やかに進んだ後の階段を上がり切ったところが、さっき教会堂から降りてきた回廊のひとつの辺です。

 

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回廊の4辺の中では一番高い位置にあるこの部分に、洗足式(修道院長が修道士の足を洗う儀式)のための長い石のベンチが設えられています。

 

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回廊の平面形は正確な矩形ではなく、いびつな四角形になっていますが、その絶妙に歪んだ四角形に高さの変化が加わることで、空間的にもシークエンス的にも変化に満ちたえもいわれぬ魅力が生まれています。もともと回廊というのはエンドレスの動線ですが、ここでは回廊から修道士達が雑魚寝していた大寝室に上がった後も、この動線は続きます。

 

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大寝室の小さな出口からさらに数段昇れば、回廊の屋上のバルコニーに出ることができるのです。

 

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バルコニーは広々と明るく、胸のすくような開放感に満ちています。

 

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コの字型のバルコニーは、実際には行き止まりですが、下の中庭に目を転じれば、視線と意識は、下の回廊を巡り始めることになるのです。

もう一度大寝室に戻ると、再び行き止まりのない動線が続きます。そこからは回廊を経由せずに、直接教会堂へ降りていくことができるからです。

 

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こうして歩き回っていると自分がメビウスの輪を辿っているような気分になってきます。ル・コルビュジェはこのように建築の内部を愉しみながら巡り歩くことのできるつくりを「建築的散策路」と名付けましたが、このル・トロネ修道院こそ、まさにその好例だと言えるでしょう。

中村好文・木俣元一、「フランス ロマネスクを巡る旅」より

 


ル・トロネ修道院

83340 Le Thoronet, フランス

行き方
パリ・リヨン駅からTGVで約4時間半、Les Arcs Draguignan下車。(直行便は一日一本程度、要確認)
ここから約25キロ。駅前にタクシー乗り場あり。料金は30〜40ユーロ。帰りの車も要予約。
近くの村にはホテルも一軒あるようです。→ Hostellerie de l’Abbaye

 

「シルヴァカーヌ修道院」

セナンクの次に訪ねたのはシルヴァカーヌ修道院。

プロヴァンスの三姉妹の中では末っ子にあたります。

 

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Abbaye de Silvacane, 教会堂 1175-1230 / 修道院諸施設および回廊 1210-1300

 

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祭壇のある側。セナンクでは祭壇周りの面が半円形になっていましたが、シルヴァカーヌではあらゆる装飾を排すというシトー会の厳格主義を徹底して守ったため、(つまり曲線も装飾とみなし)直線的なデザインになったそうです。

 

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教会堂祭壇。

ここでも他のシトー会修道院と同じく、美しい石積みが(おそらく)当時のまま残っています。

これほど美しい修道院ですが、シトー会がすっかり衰退した後は破壊の危機にさらされたらしいです。18世紀末、この修道院はマルセイユ運河建設のために、解体され、あわや石材として利用されるところだったのです。しかし運河の設計技師が、建物や環境の美しさを力説したため、破壊をまぬがれたそうです。シトー会士たちが丹精込めてつくったその優美さが、聖堂を護ったのです。いい話ですね。

 

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入り口側を見る。

 

教会堂だけ見ても、セナンクとはだいぶ印象が違います。同伴した友人曰く、「やんちゃな末っ子」だそうです。…なんとなくわかる。

三姉妹それぞれにキャラクターがあり、印象も違う。とはいえ、シトー会という「親」が同じなだけに、共通している部分も多いです。例えば、シトー会の建築には、部屋の配置や空間の構成に決まった「型」というものがあったらしく、三姉妹はすべてその型に忠実に建てられているのです。

具体的には、各部屋は以下のように配置されています。

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祭壇は、キリスト教の慣例に従って東を向きます。(セナンク修道院は例外的に北側を向く)

 

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そのまま北側を向くと、回廊に出る出入り口が見えます。

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出入り口を出ると、回廊の東側の辺にあたります。
東側には集会室や寝室があります。右側に見える入り口はそれらの部屋に通じています。

 

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そのまままっすぐ進んで左を向くと北側の辺。

北側には食堂があります。

 

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食堂内部。

 

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回廊西側の辺。
敷地に勾配がある場合は、このように勾配にそって段差が設けらます。

 

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そして南側の辺。奥に見える階段を上って右の扉を入れば教会堂に戻ります。

 

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回廊東側に面する修道士達の寝室。

 

このような各部屋の配置構成は、方位の違いはあるものの、3つの修道院すべてに共通しています。しかし構成は同じでも、その印象は全く違います。

この後に載せるル・トロネ修道院とぜひ比べてみてください。

 

また来ます!

 


シルヴァカーヌ修道院

RD 561, 13640 La Roque-d’Anthéron, フランス

「セナンク修道院」

南フランスプロヴァンス地方に点在する、約800年前に建てられた3つのシトー会の修道院。
「セナンク修道院」「シルヴァカーヌ修道院」「ル・トロネ修道院」。
3つ合わせて「プロヴァンスの三姉妹」と呼ばれています。

 

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Gordes

ゴルド村(Gordes)から北に山道を行くこと約5キロ、最初に訪れたのはセナンク修道院。
人里から離れた山の間に、ひっそりと建っています。
建てられたのは1160頃-13世紀初頭、プロヴァンス三姉妹の中では次女にあたります。

 

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Abbaye de Sénanque

「修道院を都市や村落に建ててはならない。人里離れた、往来しがたい場所に建てること」というのがシトー会の規則。現在でも交通の便は決していいとは言えず、車がなければ訪れるのに丸一日はかかるという立地ですが、そのおかげで、約800年経った今でも周囲の環境も含めて当時とほとんど変わらない姿を保てています。

 

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目の前は一面ラベンダー畑になっています。セナンク修道院といえば、一面のラベンダーに囲まれた風景が有名ですが、訪れた時はまだ冬なので咲いておらず…。

 

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教会堂入り口。

 

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教会堂内部。

 

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シトー会の修道院は、「暗闇」に重きを置いているような気がします。そこに差し込むわずかな光が大切に扱われている。そして、セナンクに来る前に同時代に建てられた教会をいくつか見てきましたが、それらと比べると石の積み方が非常にきれいです。表面がぴしっとそろっていて、石の角も肌を切られそうなくらいくっきりと立っています。

この修道院を作ったシトー会は、1098年に創設された新興の会派で、当時主流であったクリュニー会の贅沢主義とは生き方を異にし、貞潔・清貧・服従を旨とし、規則を厳格に守る会派だったらしいです。その厳格さが、空間全体からも感じられました。

 

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修道士達の寝室。毎夜ここに枕を並べ、晩の8時に寝て夜中の2時前には起きていたそうです。

 

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中庭を囲む回廊。

 

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一生を修道院で送る修道士達にとって、回廊は唯一外界と接することができる場でした。

 

その厳格さゆえに、シトー会士で28歳を越えて生きる人はまれであったそうです。それもそのはず、食事は一日に1度か2度、雑穀の黒パンと味付け無しのゆで野菜のみ、量もわずか。寝るときは温かい布団などあるはずもなく堅い床に雑魚寝をし、過酷な労働と飢えに苦しむ生活でした。普段は言葉を交わすことも許されず、夜は教会堂に集ってマリアをたたえる歌を唱和していました。そして、誰かが息を引き取るときだけは、全ての作業をやめてその周りに集い、兄弟の死にゆく姿を静かに静かに見守ったといいます。

 

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帰って来てから、あの空間が語りかけるように心に響いてきたのはなぜだろう、と考えていたとき、昔、映画「おくりびと」で出てきた「石文(いしぶみ)」という行為を思い出しました。

「石文」とは遙か昔人が言葉を持たなかったころの、自分の想いを相手に伝えるための手段のひとつで、言葉のかわりに「石」を渡したのだそうです。贈る側は、色、形、感触など無数にある石の中から自分の気持ちにピッタリの石を選び、石に心を吹き込む。もらった側は、その石を見て、相手の感情や気持ちを読み取るのだそうです。映画では、主人公が妻に送るための石を、しっかりと握って思いを込めている姿がとても印象的でした。

道ばたに落ちていたにすぎない一つの「石」が、贈られる人にとってかけがえのないものとなるのは、その石の背後に、贈ってくれた「人」を感じることができるからだと思います。

この修道院でも石文と同じように、装飾をそぎ落とした空間や端正に積まれた石、その風化した表面を見ていると、遙か昔のシトー会士達の祈りの情景やその思い、人柄や彼らの生活が自然と思い浮かんできました。

 

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石の表面には、当時この石を切り出した石工達が刻んだイニシャルがいくつもあります。こんなところからも、当時の人々の姿が目に浮かんできます。

「人」を感じさせる空間だった、と思います。

その理由を、もっとうまく説明できればいいのですが…

思い返せば、これまでに心から共感した、あるいは感動した物や建築はほとんどがそういうものだった気がします。つまり、「人を感じられるデザイン」になっていた。

物自体も美しいけれど、実はそれ以上にその背後に感じられる「人」に心を惹かれている。こういうことって、建築に限らずけっこうあると思うのです。心打たれるものの背後には、必ず「人」がいるんじゃないか。セナンク修道院を思い出しながら、そんなふうに感じました。

 

また来ます!

 


セナンク修道院

Abbaye Notre-Dame de Sénanque  84220 Gordes, France

林雅子の「せせらぎのほとりの家」

 

林雅子の「せせらぎのほとりの家」

せせらぎのほとりの家 林雅子 1996 長野県

 

先日、ユニットバスのショールームを見に行く機会があったのですが…最近の浴室はすごいです。

見た目はまるでホテルのような豪華さで、浴室暖房乾燥機はあって当たり前。ジェットバス機能や、大画面のテレビが見られるモニター、音楽を流せるスピーカーまで天井に付いていたり、さながら「第二のリビング」のような場所でした。

ショールームを巡りながら、私は昔ある本で読んだ西洋と日本の浴室の違いについて書いた文章を思い出していました。それによると、西洋の風呂と、日本の風呂の最も違う点は、広さに余裕がある場合、西洋では部屋を広げてリビングに近づけようするのに対し、日本は自然を取り入れる方向に向かうことだと書いてありました。

そうであるとすれば、現代の日本の浴室は、どちらかといえば西洋的な方向に進化をしてきたと言えるでしょう。

 

それらのショールームのユニットバスの光景にオーバーラップして脳裏に浮かんできたのが、この住宅の浴室です。

この住宅は、長野県の山中にある別荘です。設計者は建築家の林雅子さん。林雅子さんは、001で紹介した「私たちの家」の設計者である林昌二さんの奥様でもあります。

私は雑誌でこの住宅の写真を見たとき、その浴室の写真にすっかり心を奪われてしまいました。

 

せせらぎのほとりの家02居間から離れを見る

この家に浴槽は二つあるのですが、そのうちの一つがなんと小川の上にかけられた橋のど真ん中に設置されているのです。完全に屋外なので、浴室というより露天風呂に近いかもしれません。

浴槽からは山々の緑やすぐ下を流れる小川の流れが見えます。ジャグジーのスイッチを入れれば、まるで小川の流れに揺られている気分になれるのでしょうか。

橋の床は、すのこ状の板で仕上げられているので足触りもよく、人のこない山の中なのでプライバシーも心配ありません。夜は星空もきれいに見えることでしょう。あぁ、なんてうらやましい…。

 

さすがにここまでは無理にしても、私たち日本人は、もう少し、浴室に自然を取り入れることにこだわってもいい気がします。

誰でも露天風呂の気持ち良さは知っているでしょう。あの気持ちよさを、旅行のときの楽しみだけにしておくなんて、もったいない!と私は思います。なんとか、普段の家の浴室にも、あの気持ち良さを取り入れられないものか。

とはいえ、大自然のなかの別荘ならともかく、都会の中の住宅が密集した場所で外の自然を取り入れるんだとなりますが、そこは設計者の腕の見せ所です。林昌二さんの「私たちの家」の浴室の作り方は、その点でもとても参考になります。

古谷誠章の「茅野市民館」

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長野県茅野市。茅野駅を降りると、ホームの目の前に一面ガラス貼りの建物。縦に長い様々な幅のガラスがリズミカルに連続するその外観から、一目でこの建物がタダモノではないことがわかります。

設計者は古谷誠章(ふるやのぶあき)さん。

 

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茅野市民館 古谷誠章+茅野市設計協会 2005 長野県茅野市

 

古谷さんとは何度かお会いしたことがあるのですが、一目で「ああ、この方は信頼できる建築家だ」と思わせるような方でした。少し白髪交じりの短髪に、優しい目元に柔らかい曲線の黒のナイロールのメガネ、白い麻のシャツに黒のパンツと、いかにも建築家らしいモノトーンで統一されたファッション。しかもただ端正なだけでなく、白いシャツの下に透けて見えるパステルカラーのTシャツや、時折袖口から覗くおちゃめなデザインの時計から、ユーモアや遊び心も感じさせるファッションで、ぜひ、この方に建築のデザインをやお願いしたい!と思わせる空気感をお持ちでした。そしてひとたび口を開けば、やさしく包み込むような声質と語り口で論理的かつ的確な指摘をし、時折ユーモアを交えて話すその言葉に、誰もが信頼を寄せたくなる。そんなお人柄の方でした。


茅野市民館コンセプト

 

茅野市民館は、美術館や図書館、音楽ホールやレストランといった様々な機能が複合した文化施設ですが、この建物の面白さは、それらの異なる機能の配置の妙によって生み出されていると思います。

古谷さんはまず、図書館を線路のすぐ横に配置し、駅の通路に直結させました。古谷さんは最初にこの敷地に来た時、高校生たちがホームにかかる通路の上で、寒空の下風を避けながら所在無げに列車を待つ光景を見て、このアイディアを思いついたと言っています。線路のすぐ横に図書館があることによって、高校生たちも列車のつく一分前まで図書館で本を読んで過ごすことができます。

 

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この図書館はスロープ状になっていて、線路に沿って下って行くと、ホール前の広場に至ります。

 

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図書館の閲覧スペース

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図書館のスロープを下から見る

広場からは美術館や音楽ホール、インフォメーションにアクセスできます。普通ならそれぞれに別々のホワイエを設けるところですが、古谷さんはそれらをひとつにまとめ、大きな共通の広場として真ん中に配置しました。広場は駅のプラットフォームにも対面していて、時折そこに上りの特急あずさが滑り込んできます。市民の様々な活動をまるごと受け入れるその場所は、素材の使い方や細部の納まりもとてもきれいで、まるで古谷さんのお人柄をそのまま形にしたような空間だと思いました。

 

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図書館のスロープを下りきったところにある「広場」。すぐ横に駅のプラットフォームが見える。

 

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「広場」から芝生の中庭を見る。正面のガラスは引き戸になっていて全面開放が可能。

 

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メインエントランス。写真がうまくありませんが、ここも古谷さんのセンス溢れる空間。

 

見学を終え満足し、駅のホームで帰りの電車を待ちながら立って建物を眺めていると、建物のガラスから、山々が透けて見えているのに気付きました。

ホームからは周りの建物が影となって、その向こうの八ヶ岳は見えないはずです。それなのにどうして…?と思ってよくよく目を凝らして見みると、建物の背後の山が透けて見えているのではなく、ガラスに反射して背後の山々が映って見えていたのでした。

仕掛けはこうです。

駅のホームと並行して走るガラスは一直線ではなく、表側と裏側という感じで異なる種類のガラスがジグザグに貼ってあります。

 

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そして、表側に出ている方のガラスを、少し反射度の高いものにしています。反射度の高いガラスには後ろの景色が映り、引っ込んでいる側のガラスからは建物の中が透き通って見えます。その結果、建物の表面では、ふたつの景色が混じり合って見えるのです。

 

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ガラス面に周囲の山々が映る

この街に住む人たちにとって、周囲の山々は小さい頃から慣れ親しんだ大切なものだと思います。ホームで電車を待つ人は、この景色を眺めながら、何を思うのだろう。

 

ガラスに映る山々、その向こうに、市民の活動の場が透けて見える。電車がホームに来ると、図書館で本を読んでいた学生がそれを見て、ホームへと降りてくる。何十年たっても、今と同じ風景がここにありますように。

 

また来ます!

 


茅野市民館

長野県茅野市塚原1-1-1

茅野市民館

ユハ・レイヴィスカの「ミュールマキ教会」

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Myyrmaki Church Juha Leiviska 1984 フィンランド ヘルシンキ

 

フィンランドの首都・ヘルシンキから電車で15分、Louhelaという街にある教会です。
完成は1984年、設計はフィンランドの建築家、ユハ・レイヴィスカ。

 

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東面の外観です。
縦長のガラス窓がたくさんあって、なんだか普通の教会らしからぬ外観ですが、
中に入るとその理由がわかります。

 

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この建築のテーマは、「光」。

 

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西面にある祭壇。横から入ってくる光がとてもきれいでした。
この建築はフィンランドの人たちにとってとても大切な「太陽光」を主題にしています。
建物も太陽光に敬意を払い、光が美しく見えるための形に設計されています。

 

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祭壇横のガラス開口部から入った光が垂直に伸びる袖壁に反射して、
やわらかい間接光となって建物の中を満たしています。

 

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まるで、建物全体が光によって奏でられている楽器のように見えます。

 

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照明も、実にきれいです。

 

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東側を見る。照明が音符みたいに見えてくる。

 

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見る方向によって、建物が奏でる音色は変わります。

 

レイヴィスカは建築だけでなく音楽も好きだったらしく、
「私にとって建築と音楽は最も互いに近しい芸術である。」とも言っています。ロマネスクやバロックの教会が奏でる音楽のイメージはあるけど、
この教会が奏でる音楽はどんな音楽だろう、
と想像しながら見学すること30分。
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ちょっとしかいられませんでしたが、
見ている間も太陽によって刻々と中の表情が変化し、まったく飽きることはありませんでした。
今回行ったのは午後でしたが、午前中だと光が東側の窓から入って、空間が全然違う表情になるらしいです。

ぜひ、午前中にも行ってみたい。というか、一日中座って眺めていたい。夏と冬で光の感じも違うらしいので、何度も通ってみたい場所です。

フィンランドの北のクオピオという街にも、同じくレイヴィスカが設計した教会があり、

そちらもとてもすばらしいので、またの機会に書こうと思います。

また来ます!

Myyrmäki Church

Strömfåravägen 1, 01600 Vanda, Finland
行き方
ヘルシンキ中央駅からVRの近郊列車に乗り約20分、Louhela駅下車。
電車をおりるとホームから目の前に見えます。
下の検索サイト(Joruney Planner)でfromに”Helsinki Railway Station”、toに”Louhela”と入れれば詳しくわかります。
http://www.reittiopas.fi/en/

ウィリアム・モリスの「レッドハウス」

ロンドン中心部から電車で30分、ウィリアムモリスの「レッドハウス」。

 

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Red House, Philip Webb & William Morris, 1859-60

レッドハウスは今から約150年前、「モダンデザインの父」と呼ばれるウィリアムモリスが結婚後数年を過ごした家です。

 

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この家は外観ももちろんですが、インテリアがおもしろいです。

 

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これはレッドハウスの部屋に張られている約150年前にモリスによってデザインされた壁紙です。

今家にいる方は、横を向くと同じような壁紙が張られているかもしれません…

 

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近くに寄ってみます。レッドハウスの中にこの壁紙の制作方法も展示されていました。私は壁紙が昔どうやって作られていたか、知らなかったので驚いたのですが。。。

 

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壁紙の柄は、このような細かい木彫りの版からつくらます。ちょうど小学校でやった版画の要領で、この版にインクをつけて上からこすり、紙に色をつけていくのです。色がついたら、粗が出てしまったところを目でチェックして、筆で修正を加えて、完成です。

 

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展示室にあった、モリスのデザインした壁紙のカタログ。

 

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いろんな絵柄がありました。

 

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使う色が一色だといいのですが、こんなふうに何色も使った複雑な絵柄の場合、各色ごとに版をつくって、それらを重ねていくことになります。最初の版が終わったら乾かして、乾いたら次の版で別の色を付けまた乾かして…ということを繰り返していきます。

 

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中にはこんな驚くほど精巧な版も。

さらに壁紙だけでなく、この家には手の込んだ細工がそこらじゅうにあります。

 

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窓ガラスに

 

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ひとつひとつ鳥の絵が描いてあったり

 

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ドアには

 

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ステンドグラスのようなきれいな細工。

 

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この部屋には

 

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なんと壁一面に絵が描いてあったそうです。

モリスの後の持ち主によって壁は白く塗り重ねられて、今はほぼ見えなくなっていますが、ところどころ塗装が剥げて絵が見えていたり、このように保護されて残っています。

 

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これは天井見上げ。

これらの今見ればやりすぎにも思える室内装飾の数々には、産業革命が起こり、大量生産による安くで質の悪い製品が世の中にあふれたことへの批判も込められ ていたようです。モリスについてもっと知りたくなりました。

 

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この家に行って「壁紙」という物への印象がだいぶ変わりました。

これまで柄物の壁紙というと、なんだか安っぽい感じがしていたのですが、そこに関わってきた人たちの歴史の一端を考えると、決して「安っぽい」の一言では済ませられないことがわかります。

産業革命を経た世界の技術は飛躍的に向上し、昔は手作業でひとつひとつ作っていたものが、大量生産できるようになっていった。壁紙も、機械で大量生産されて今ではどこでも見ることができるようになった。

でもその壁紙ももとをたどれば、モリスをはじめいろんな人が、人々の生活を向上させようと手作業で一枚一枚丁寧に作りだしていたものだった。そして壁紙を大量生産できるようにした技術だってきっと、一部の人しか楽しめなかったものをより多くの人が手に取れるように、という想いから、過去の人々の努力によって作られてきたものです。

 

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展示の一部。モリスの言葉。

壁紙に限らず、何でも簡単に手に入るようになった現代。そこに至るまでの努力の一端を見た気がしました。
また来ます!

Lane, Bexleyheath, London, DA6 8JF
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