弦楽六重奏曲第1番 – ヨハネス・ブラームス

大学2年生の夏休み、

オーケストラサークルのバイオリン弾きである松村君から

ヨーロッパ旅行に行かないかと誘われた。

ドイツへの留学経験もある松村君はおちゃめで社交的で、

ヨーロッパなど生まれて一度も行ったことのなかった僕には、とても頼もしかった。

知的でクールなチェリスト井口君も一緒に、

3人で人生で初めてのヨーロッパへと旅立った。

 

初めてのヨーロッパは何を見るのも新しくて、感動した。

こんなにきれいな場所があるのかと思った。

街は美術の教科書がそのまま出てきたようで、

石造りの大聖堂は、神を信じそうになるほど荘厳だった。

街角のスーパーで買い出しをし、駅で列車に乗り、次の目的地に向かう。

次の街にいくのが待ちきれない。

自分はどこへでも行けるという感覚。

その自由な感覚がたまらなかった。

 

ドイツのケルンに向かう列車の中で

席を取れなかった僕たちはデッキに陣取った。

窓の外には、ドイツの田園風景がゆっくりと流れている。

持っていた音楽プレーヤーの中から、

ドイツの作曲家ブラームスの弦楽六重奏曲を選んで聴いた。

1楽章のメロディーは、窓の外を流れるドイツの美しい田園がよく似合っていた。

2楽章は一転して、ビオラから始まる暗く情熱的なメロディーに圧倒された。

隣にいたチェリストの井口君に「この曲、どう?」と言って、片方のイヤホンを渡した。

彼はしばらく聴いてから、「かっこいい曲だね」と答えてくれた。

いつか必ず、この曲をやろうと思った。

 

ブラームスが27歳の時の作品らしく、若々しい情熱にあふれている。

27というと、今の自分と同じくらいの年だ。

その年でこれだけの作品をつくるとは、

さぞかし古風で独特な雰囲気の27歳だったに違いない。

晩年のブラームスの諦観の境地のような作品もいいが、

若い時の作品も、大好きだ。

何より2楽章のメロディーは、ビオラ弾きにとってはこれ以上ないマスターピースで、

演奏していると「ブラームスさん、ありがとうございます」という気持ちでいっぱいになる。

 

今でもこの曲を聴くと、ドイツの田園風景の中を走る列車の、デッキの風景が思い浮かぶ。

その10年後、井口君とこの曲をやることになるのだが、

それはまた別の風景。

Christmas Lights – Coldplay

年末から年をまたいだ旅行から帰ってきて、もうすぐ新学期が始まるという頃、

友達から、僕の誕生日を祝ってやるという誘いが来た。

誕生日会を開いてもらうなど、いつぶりだろうと

嬉しさと同時に少し照れ臭い気持ちで友達のアパートメントへ向かった。

 

部屋に着くと、フィンランドで学生をやっている山田さんと、日本の留学生の富田さん、

台湾からきた学生のTommyが、台湾の料理を作って待っていてくれた。

テーブルにロウソクを灯し、フィンランドのビールで乾杯した。

料理は本当においしくて、自分がアジア人であることに感謝した。

山田さんが日本から持ってきてくれた和風ドレッシングをサラダにかけて食べた。

 

冬休みに行った旅行の話になり、

僕が一人旅好きで、よく誰にも言わずにフラリと旅行に行くものだから、

「どうしておまえはいつもSecretlyに旅行に行くんだ」とからかわれた。

「そんなつもりはなかった」と抵抗しても、ダメだった。

どうか、あだ名が”Secretly ◯◯”になりませんようにと願った。

 

話題はそのうち好きな音楽の話になっていた。

TommyがColdplayの新しく出した曲がいいから聴こうと言う。

「ミュージックビデオもすごくいいんだ」と、パソコンで動画を見せてくれた。

やさしいピアノの音で始まる心地よい曲だった。

曲の世界観と、年末に一人で旅行しているときの孤独で自由な感情が重なって、

ロウソクの光でゆらめく空気の中に溶けていった。

曲を聴きながら暖かい部屋の中で降り積もる雪を見ていると、

何も悪いことはしていないけど、全てが許されるような不思議な感情になった。

曲は徐々に盛り上がり、

街の夜景をバックに色とりどりの花火が打ち上がって、終わった。

 

僕は我に返り、「いい曲だね」とか

「花火は日本では夏のものだけど、こっちでは冬のものだと知って意外だった」とか、

つたない英語で、当たり障りのない感想を言ったんだと思う。

言葉で言えるのはそのくらいだった。

その後は、みんなでColdplayの好きな曲の話で盛り上がった。

 

夜も更けて、ソファーの上で毛布にくるまった富田さんは、いつのまにか寝てしまっていた。

山田さんも毛布にくるまって眠そうだ。

Tommyは半袖のTシャツを着てまだ少し元気そうだったが、

会話もポツリポツリとしか出なくなり、僕も疲れたので、

ソファーで眠っている富田さんを置いて帰ることにした。

 

山田さんとアパートの前で、新学期も頑張ろうと言って別れた。

ピンと張り詰めたフィンランドの夜の寒さがとても心地よかった。

 

部屋に帰って、すぐにiTunesで曲を探して買った。

聴きながら寝ようとしたら寝られなかったので

頭の中で無限リピートしながら眠った。